伊集の木会トップ

HOME > 伊集の木会の心

伊集の木会は「誰もが生きがいと安らぎのある心豊かな人生をおくることの出来る地域社会の実現」をめざし、障がいのある方が成果の花を咲かせることを応援しています。

黒潮 武嗣【氏名】   黒潮 武嗣(くろしお たけつぐ)
【生年月日】 1951年2月22日
【略歴】
1951年 玉城村前川に父:武秀、母:澄子の長男として生まれる。
1981年 東海大学卒業後、通関会社勤務を経て、日本歯科大学に入学。
     同大学卒業後に勤務医として働く。
1988年 社会福祉法人伊集の木会理事に就任。法人運営に助力する。
1991年 那覇市古島にくろしお歯科クリニックを開設。
2012年 くろしお歯科クリニックを運営するとともに
父:武秀より社会福祉法人伊集の木会の理事長を引き継ぐ。
黒潮 武嗣

生きがいのある日々のために。

伊集の木会は昭和57年に沖縄の都心で初めて「那覇福祉作業所」を開設した沖縄福祉の先がけです。障がいのある人へ新しい生活や労働の場を提供していくために「那覇学園」「玉川園」「伊集の木荘」「いじゅの木」「いじゅの花」「相談たまがわ」とこれまで様々な花を咲かせて参りました。


現実には、障がいのある方が自立して生きてゆくことは容易ではありません。しかし、「健常者と変わらない生活を」「できるだけ高い収入を」と願い続けてきた私たちは、受け身ではなく、常に自分たちの手で沖縄福祉の世界を耕し、収穫するという姿勢を持って行動してきました。その一つの実りが「いじゅの木農場」という生産活動の場です。そして今、さらなる可能性を求めて他の都市部へも、その場を広げていっています。


障がいの有無にかかわらず、社会すべての人が命を育みながらお互いを理解し、成長していく———伊集の木会は、そんな豊かな心を持った法人でありたいと願っています。

黒潮 武秀【氏名】   黒潮 武秀(くろしお たけひで)
【生年月日】 1922年11月1日
1963年、知的障がい児の親として沖縄精神薄弱児育成会(現在の県手をつなぐ育成会)の結成に関わり、後に会長を務める。83年に那覇市で初の知的障害者授産施設・那覇福祉作業所を設立。ガーブ川沿いで小売店を営んでいた60年代には、地下水路化要請運動の中心を担う。58年の沖縄社会党結成に参画し、復帰運動にも力を尽くした。
【略歴】
1922年 玉城村前川にて父:武市、母:ウシの長男として生まれる。
1941年 名古屋大曽根中学校卒業後、三菱重工株式会社に入社。
1948年 敗戦直後、沖縄に帰省。軍牧港カンパン事務所を経て、
     琉球政府工務部建築課入職。
1952年 丸秀茶舗を創立・経営しながら政治・復帰運動に情熱を傾ける。
1983年 知的障害を持った長女の為に那覇福祉作業所設立。
1984年 有限会社那覇総合園芸設立。園芸と福祉を繋げた活動を展開。
                 1986年 社会福祉法人伊集の木会を創設。同法人の理事長に就任。
                 2012年 長らく務めていた理事長を勇退し、同法人の名誉会長に就任。
                 2014年11月29日 永眠 享年93歳
 黒潮 武秀

種を育てよう、花を咲かせよう。

私にとって、障がいのある人は伊集の木と重なり合って写ります。


伊集の木は山の中腹から麓に沃土に繁茂し、山の頂上や痩せ地には育ちにくい木ですが、建築用材として重宝がられたばかりでなく、琉歌にも歌われるような美しい花を咲かせる名木です。障がいのある人も差別や偏見の痩せ地では育ちにくいですが、多くの市民の善意と理解のある土壌では確実に成長するものと確信しております。


梅雨にもめげず、ほのかな香りをただよわせながら美しい花を咲かせる伊集の木のように、障がいのある人も清らかで美しい花を咲かせてほしいと願っています。